1
その日の昼過ぎに密かな報告を受けたジョナス大尉は、急に仕事の書類(土木工事)を放擲して、コーヒーを飲みに向かった。
認可のサイン業務については、権限がある代理で信用できる同僚に任せた。同僚どころか上役の少佐殿は、ものの五分の会話で愕然とした表情を浮かべたものの、「私がやっておこう。どうせ暇だから、二三時間ほど残業して心を無にすることにするよ」とやるせない微笑だった。
とても、やるせない表情で頷き合う。
「大丈夫かね?」
気遣う少佐殿に、ジョナス大尉は「お心遣いに痛み入ります」と一礼し、沈痛な面持ちでその場をあとにしたようだ。
目指すコーヒー店は、退役した特殊部隊戦士のサワラ曹長のところ。いわゆる、仲間内のたまり場である。暗い政治圧力や権限の問題があるために表立ってできない、反魔族レジスタンスの連絡事務所を兼ねていた。
二階の会議室になっているラウンジに上がるなり、ジョナス大尉は獰猛な唸り声を噛み殺しながら手近な椅子を蹴り飛ばす。椅子の脚が折れて、バウンドしながら床を転がった。
そして旧友のサワラ曹長、もとい店長に吐き捨てるように告げた。
「全滅だ」
「? は? 全滅?」
浅黒いサワラ店長は、目を白黒させて頭を搔いている。理解が追いつかないらしい。
「まさか、あいつらのことか? わざわざ表向きには退役させて二十人くらい送ったって」
「そのまさか、だよ!」
押し殺しつつも、怒気と剣幕は凄まじい。
サワラはそれでも理解しかねたようだ。
「待ってくれ。戦闘があったなんて、聞いてない」
「戦闘じゃない。炭鉱労働だよ!」
「何があった?」
数秒間の重苦しい間を置いてから、ジョナス大尉はやや早口で簡潔に応えた。
「奴らが裏切ったか、騙しやがったのさ。「対魔族で防衛や牽制してレジスタンス参加したいから、指揮や指導も出来る戦闘員を送ってくれ」とかほざいていたが。炭鉱労働とやらに送られて、ほとんど全員が殺されやがった」
呆気にとられたサワラは、己の額を手でペチッと叩いて「あちゃ!」と、どうしようもないときに笑うしかないときの軽々しい悲鳴を上げた。
政治家などで、魔族がらみの利権ギャングとつながっている者は少なくない。理解者を装って人員の派遣を依頼しておいて、虎の子の信頼できる実力者たちを送らせておいて、彼らを騙し討ちや売りとばしたのだろう。
貴重な人員を失った打撃もさることながら(魔法の素質なしに魔族や魔法使いと戦える達人クラスの戦士は多くない)、人間相互の信頼関係を破壊して、対魔族ギャングでの連携協力を阻害してくる。そういう卑怯な策略は敵方の十八番だった。
しかも、しばしば以上に人間側の腐敗した有力者が絡んでいて、潜伏している魔族やギャングを庇護したり便宜供与している。建前上には身内であったり見せかけの合法性やグレーゾーンで体裁を装っていることもあるし、気にくわない・裏切り者だからと勝手に独断で殺してしまうわけにもいかない事情がある。
たとえ正しい目的でも越権行為で暴走すれば自分たち自身が犯罪者として訴追や弾劾されかねず、そうなるとまた腐った連中に政治的策略でつけ込まれ、あべこべに裏での勢力を拡大されかねない。政治家や指導層の大部分は妥協するか腐りきっており、どうにか背後からの牽制と監視で現状維持して一進一退。
「協定さえなかったら、さっさと皆殺ししてやるっていうのに」
今や「協定」と呼ばれる裏ガイドラインになっている合意が成立しており、魔族や配下のギャングを一定の範囲や条件で野放しするしかなくなってしまっている。場合によっては明らかな違法行為や犯罪ですら目を瞑るしかない。
良い警官や軍人が(口実から政治圧力で)クビにされれば防衛力や治安維持力がかえって低下してしまい、しかも腐敗側のスパイが空いた席に入り込んでくることすらある。脅迫されたり家族にまで累が及ぶことを恐れてしまい、どうしても及び腰になりがちだった。
ジョナス大尉はビールを二口三口ラッパ飲みしてから、歎息するように言った。
「サワラ。俺は辞めるぜ。フリーのハンターになってあいつらを殺しまくってやる。そうでもしなけりゃ、あいつらはつけあがってやりたい放題するばっかりだ!
このままだったら、わけがわからないうちにこの町もこの国も、イカレた素晴らしい魔族帝国のお目出度い植民地になる。誰かがあいつらに恐怖を与えてやるしかない!」
カウンターテーブルに拳を叩きつける。
彼の幼い息子と妻は、魔族犯罪テロの犠牲になっていた。たとえ軍の公の職務を離れたり、魔族側や付随するギャングから恨みを買っても、失うものは多くはないのかもしれない。いくら世の中が腐っていても、さすがに個人の経緯や正義感からすれば「自分もデタラメやって汚職してやれ」という気にはなれないらしい。
ただし、「反魔族レジスタンス」は違法行為(存在そのものが私闘や私戦予備、裏協定にも違反)であって、いかに理解者や賛同者が少なくないとはいえ、刑法的には「犯罪者になる」のと変わらない。
サワラ店長は困った顔で頭を搔いた。
「それは、まずいよ」
「何がまずいんだ? 他に方法があるか? 俺とお前で、若い奴何人かとであいつらをぶっ殺して「見せしめ」にしてやった方が世の中のためってもんだろう? お前だって、とっくに手を汚してるんだから止める筋合いか?
俺が今は事務仕事ばっかりしてるからって舐めてんのか? サワラ君よ、昔の戦友だったら俺が「やれる男」だってわかってるだろ?」
酔いのせいというよりも、これまでと普段からの苦悩と葛藤が言葉になって溢れている。
だがサワラは冷静だった。冷徹な怒りの瞳で友人を諭すことにした。
「貴様が辞めたら、今のポジションの仕事や権限はどうなるよ? 信用できる替わりでもいるっていうのか? おかしな奴らが替わりでお前の地位に就いてみろ、部署や部下ごと全員破滅だろうが」
「いや、それはそのとおりなんだが」
「あの代議士の先生だって、そんなやり方は反対すると思うぜ。とりあえず少佐殿が次の選挙に出て勝てれば議席も増えて、やっと法案提出の目処が立つだろ?
あいつらはそれを嫌がって、こっちがキレるように挑発してきてるのもあるだろうし。のせられて嵌め込まれるのが賢いとは思えんな」
「だが、このままでは」
苦慮の表情のジョナス大尉に、サワラは落ち着くのを待って言った。
「資料だけ、回してくれ。新人のハンターが心当たりあるんだ」
ハンター、狩人。レジスタンスの非合法戦闘員の隠語。
「そうなのか。ふんっ、水くさい。言ってくれたらちょっとくらいは手助けしてやれたのに。どんな奴なんだ?」
「魔法使い。変わり者のな、まだ若いけど魔法学院を出ている」
「魔法使い?」
ジョナス大尉は考え込む仕草になる。てっきり軍や警察からの決起組やら、格闘選手崩れやヤクザものだと予想していたようだ。
それに軍関係者からは、人間の魔法使いや魔法学院・協会の類は必ずしも信用されていない面もある。高度な魔法・魔術能力の資質や知識とノウハウの独占で、ある種の特権階級意識が強く、一般の人間や軍の戦士たちを見下しているところがあるからだ。
更に言えば魔族に同調する者すら多いようで、魔法協会は魔族ギャング利権の迎合や首謀者たちの巣窟にすらなっているのは、知っている者には公然たる秘密事項(あまりにも絶望的であることや制裁を恐れてあまり口にできない)。
「なんで、そんな奴が?」
普通だったら、わざわざそんな賢くないことはやらない。学院や協会に従って魔族利権と仲良くした方がはるかにお得だから。
「だから、変わり者ってのさ。いつぞやの原始人君もだけども、そういう奴もいないことはないのさ」
2
「それで、こいつらをぶっ殺す?」
「判断は任せる。こちらだって全部が全部に責任負えないし、やればお前は「犯罪者」になる。つまり自己責任ってことだ。だから絶対に無理はするな、お前の判断でどこまでやるかも加減すればいいし、逃げても構わない。
だがどうしてもと言うんだったら、それで賞金を出すレジスタンスのギルドの窓口を教えてやる。他に用心棒みたいな穏便なのが良かったら、そういうのもなくはない」
「いや、やるよ。俺はこいつらを殺したい。あんたらだってあっちの町の連中だってそうだろうに、よくリンチや暴動にならないな」
トラバサミの鉄仮面青年、通称「トラ」は「若枝の義手」で与えられた資料の要点の写しを再度にあらためた。原本までは持っていけないから。
彼が魔術者・魔法使いであるのは服装だけでわかる。皮革に付呪した簡素な鎧(胸当てのあるベストに近い)。一般的に魔法処置を付与された防具や武器は効果が高いけれども、ものによっては特に本人に魔法能力がある場合こそ真価を発揮する。魔法使いの使用を前提とした製品では「防具以外の場所と部位」にまで強力な防御効果が及ぶため、肩当てなどもなく通常の戦士の武装よりも軽装になっている。
サワラは新しいコーヒーを注ぎながら、どこかやるせない。
「みな、腹には据えかねているのさ。だが迂闊に手が出せない。なぜなら「管轄」が違うから。その町や地区で支配層が腐っていれば、下手をしたら越権行為でこちらが訴えられる。今回みたいな、極秘裏に送った助けが嵌められて売られることも。
あっちの町の人たちだって、魔族やギャング相手では尻込みしても責められん」
「やられた人らは、いい面の皮だな。わざわざ退役してまで助けに行ったのに、当の相手方の裏切りでやられてたら「何しにいったのかわからない」」
トラのいうことに、サワラは同意の頷きでため息した。
「今頃、うちの軍の大尉が遺族を回っているはずだ。気の重い話だろうが、あいつなりの責任の取り方だろう。「あなたの息子や兄弟は運悪く死にました、完全に犬死にでした」だけではあんまり可哀想だし、せめて慰めたり励ますくらいは。軍の信用の問題もある。
もし生活に困るようなら仕事の斡旋や金の貸付やで手助けしてやれるからな。
それに「見捨てていない」と態度で示しておけば、この町の潜んだ魔族やギャングだって、手を出しにくくなる。もし遺族を襲ったら「手段選ばず報復するぞ」って思わせとかないと」
3
ジョナス大尉は薄暗がりを、腫れた顔で血の味を飲み込んで、次の遺族のところへ向かう。殴られた痛みが心の苦悩を幾ばくかなりとも和らげてくれる。
まだこれが正式・正規の作戦ならば、「殉職者」への死後の階級や顕彰の授与して堂々と勇気を称えて追悼し、僅かなりとも遺族年金くらいは出してやれただろう。まだ慰めたり自分自身も遺族もやるせなくも一応は納得できたかもしれない。
けれども今回のことは「非正規作戦」であって、ジョナスなどの上級将校のリーダー格と志願した希望者たちで「勝手に(自己責任で)やった」ことでしかなく(及び腰の政府や多くの腐敗した政治家などからは良い顔をされないだろう)、しかも彼らは「形の上では退役済み」なのだから正規の軍人・兵士ですらない。
しかも戦ったり有意義な成果の代償などでは全くなく、味方のはずの相手方に裏切られて嵌め殺し・犬死に。ジョナスは作戦実行の判断を下した一人であるだけに、自分たちを信じて決死の覚悟で行動した部下たちのこんな結末はなおさらやり切れない。
「あんたのせいで!」
「どうしてうちの人にそんな危ないことを」
「息子を騙して殺しやがったな!」
耳に残る、遺族の悲痛な声。
「あっちの町も潜伏魔族のネットワークから解放すれば、それでこっちの防衛ラインも構築できる。あの代議士さんと少佐で参事会の議席をおさえれば、この地域全域で優勢にできるかもしれないですし」
別れ際にかわした会話が甦ってくる。
いつか戻ってきたら、新しい議員のスタッフと護衛に回すつもりだった。自分の地位や他の重要ポジションを任せる予定だった者も多い。
数時間前に再会した彼らは、戻ってきた遺体だけでも、極度の飢餓と過労で苛め抜かれて死んだであろうことは明白だった。
4
「そういえば、あのデカイ剣は?」
「この腕では十分扱えない。あれは諦めた。決め手に使おうと思って訓練はしてたけど、腕が無事でもはたして実戦でちゃんと使えたかも怪しいし、訓練用だったと思っておく。
それに、もっと良いのを手に入れたさ。初戦の戦利品だけど、もっと手頃で扱いやすいし俺に合っている。マジでラッキーだ。あの大剣で昔からロマンで無理矢理に訓練してたから、この剣だったら片手でも十分上手く扱える」
鉄仮面のトラの右腕は「若枝の義手」と呼ばれるもので、特殊な材木を魔法加工して、本物の手のように随意に動かせる。魔術師たちの間では身体欠損を補う治療に使われるが、本人に魔法の素質や能力があれば外部からの「パワー充填」を必要としないのも利点だ(形態を調整や変化させたり、損傷を自己修復できる強みもある)。
ただし、強度や保持力では生身の四肢より劣る。日常生活での不都合はなくとも、戦闘用としては戦力低下をカバーしきれないらしい。より戦闘向けの金属製のものもあるが、値段とコストも高い上に重量も重く、メンテナンスの手間や敵の探知に引っかかりやすいデメリットもある。
「その剣、のせいじゃないよな? 魔族から奪ったとか言っていたが、まさか「魔剣」とか「邪剣」とかじゃ?」
「いや「魔法使いや魔族向け」ではあるかもしれないが、そういう効果はないと思うけど。犠牲者の怨念で呪われてる、とかはあるかも。アハハ」
サワラの不安げな面持ちの問いかけに、トラは鉄仮面の小首を傾げた。まるで「どうしてそんなきとを?」と無邪気な疑問にするように。
床に置かれた袋。
今日も、殺した魔族の生首。
それだけではない。切り取った腕や抉り出した肝臓と心臓まで。それらは首級以外の部位で「売れる」需要はあるのだけれども、実際に殺した魔族から切り取ってきたり売り飛ばすのを実行するハンターは多くない。戦いの現場で余裕がないのもあるだろうし、人間に形が似た魔族の死体を動物の獲物や家畜ように扱うことへの、心理的な忌避感もあるだろう。
たいていは首級をあげるくらいで済ませるが、ここまで徹底的に魔族を「狩猟対象の獲物」としか考えないのは少数派だ。
それくらい居直っているのがトラの強みなのかもしれないが、どこか狂気の片鱗のようなものを感じて、サワラはときどき背中が寒くなる。「本当にこいつ人間か?」とすら思う。
「魔族を食ったそうだな? 最初のとき」
「あ、うん」
邪気もなく、とぼけた感じでうなずくトラ。鉄仮面で表情はよくわからないが、受け答えは軽い雑談の調子だった。
「あんまりやめておけ。そういうことは。おかしくなっちまう」
「あんまりおいしくない。肝臓とかも薬で売れるらしいけれど、あんまりおいしくない。
だから「お前も食ってみろ、自分の肝臓がマズいって、お前の性根腐ってるからだろう?」って御本人様に味見させてやったよ。アハハ」
聞くところでは、ずいぶん酷い殺し方。
トラが言うには「魔族やその手下どもに恐怖を教育してやらなくてはいけない」「悪意や暴力に対抗できるのは上回る暴力と狂気しかない」。一理ある発想や言い分とはいえども、こうまでストレートすぎると(まるで魔族のようだ)、常識人のサワラなどには驚きや不安を抱かせるところがある。
5
もう何ヶ月前のことだったろうか?
一年くらい経っているだろうか。
まだ「狩り」をはじめて間もなく、初めて本格的に魔族と戦ったときのこと。それまでは人間の手下や手先、最下級の雑魚のような魔族と小競り合いしていただけだった。はじめて実際に戦った「魔族の騎士(下っ端でない)」とやらは、強いことには強かったが「どうにもならない」ほどではなかった。むしろ心のどこかで拍子抜けさえしていた。
だが。これで勝てる、そう思ったときに振り上げたあの大剣が義手からすっぽ抜けた。不意討ちの反撃で吹き飛ばされ、ダメージで朦朧としながら、子供の声が聞こえた。
それはたぶん子供の頃の自分の声か、知っている誰か複数人の声なのか。たぶんその両方だったのだろうか。
「間抜けだよね。魔族と戦う前に、人間にやられてカタワになってるなんて。
「自分だったら魔族に勝てる」とか、魔法協会の方針は「魔族との賢明な妥協と共存」なのに逆らって勝手するとか」
いつぞやトラの右腕を居合い切りで切り落としたのは、どこぞの自称・貴族の「殿」とやらの無礼討ち(試し斬り?)だった。成り上がり者である殿は示威行為と自己満足を必要としたらしく、他にも頭を切られて脳損傷になった者もいる。参集した戦士たちを「閲兵」して、見せしめに生意気そうな奴や目についた手頃なのを兇刃にかけた。
この「切り落とす」というのは、単純に切断面だけの深い切り口の苦痛だけだろうか? 無事な側の頭からすれば、切り落とされた右肘から先を全部失ったことになる。それだけの分量を、仮に全部をいっぺんに刻み潰されたとしたらどれだけの苦痛だろうか?
パニックになってわけがわからずのたうちまわりだしそうなところを、思い切り顔面に蹴り。
「情けない奴だな。無様にもほどがある、戦士の心構えがなっていない。我が方に不用! 魔術者あがりふぜいの分際で、伊達にそんな大剣など背負って何様の思い上がりだ? ん?
我が居合いの術と「魔術者殺し」の秘宝剣、一生涯に証人の見本として恥をさらして生きていけ! その腕は魔法でももう治らん。お前は一生カタワ確定だ。
ほら、終了っ! このように、戦場では一瞬の油断で人生終了だから! それがわからなかったお前が悪い。お前はもうカタワ、使い物にならん。 んんっ? なんだ、その目は?」
「よく、言われるよ」
子供の頃から。「おとなしいしたまに剽軽なのに、たまに有り得ないくらいやばい目をしている」「何を考えているのかわからない、怖いし不気味」とか、よく言われた。
殺意は固まっていた。脂汗を流しながら、攻撃魔法を放とうとしたとき、察した世話役がタックルしてトラを取り押さえた。そうでなかったらたぶんその場で殺していた。
「い、医務室に連れて行くから! 暴れるな、おとなしくしろ! 閣下、申し訳ありません。こいつもここの者らも新徴募したばかりで、よくわかってないのです」
引き分けた世話役や他の者らのおかげでそれ以上には事なきを得た。もし暴れていたらトラ自身も命が危なかっただろうし、たとえ「勝利しても法的に死刑」になりかねなかっただろう。
ちゃんと最低限でも応急手当てと治療はしてくれたし(上司役たちが抗生物質や代金を工面してくれ、事務のお姉さんなども見舞いには来てくれた)、僅かとはいえ心付けもくれたから、必ずしも彼らまでがトラを嵌めよう・陥れようとか明確な悪意まであったとは思えないわけだが、逆に少し困ったしムカついた(そんな悪気ない人らを殺しても「主に八つ当たりの過剰な復讐」「理不尽な暴力加害」にしかならないと頭でわかっていても、凶事に見舞われた端緒や原因の一つではあるだけに)。
周りのものや招集した世話役たちは、曖昧な顔でやり過ごしていた。彼らにさして悪気はなかったにせよ、無茶な横暴にも逆らえない人たち(その場にいた志願者の半分は、何故か鉱山で奴隷労働送りだったとか)。なお、その「魔術者殺し」の貴族氏は後日、他の若手の誰か(数名)にもイジメや虐待して破壊したり思いつきで斬りつけて脳挫傷させ、最後はプロ軍人の剣客から「立会制裁リンチ」されてついに殺されたそうだが(腹に据えかねた誰かが通報や依頼でもしたのか?)。
たまたまその成金貴族の人間性や巡り合わせの偶然、トラ自身の油断・盲信や驕りにも悪運を招いた理由や原因はあるだろう。けれども、もう一つの別の隠れた裏事情がある。
魔法協会は魔術・魔法のノウハウやデータを独占して、資質のある人員の大部分を支配下や影響下に置いているが、概して魔族勢力に妥協や迎合している腐敗や元凶ですらある。魔法という特殊な力を持っていることでの特権階級・エリート意識が凄まじく、ほとんど魔族やそのやり方に共感・同調したり憧れすら持っている。人間側が劣勢になっている主要原因は、政財界の腐敗と並んで、魔術協会の常習的な裏切り行為やサボタージュだと言って良い。軍の戦士たちには接近戦・格闘や肉弾戦なら魔族と十分戦える勇士や達人はそれなりにいるが、後方や側面から援護する魔法使いがいない(サボタージュして協力しない)ことで、損耗率も高くなって及び腰にならざるを得ない。
今回の盗賊グループとの乱戦でも、近場の魔術者たちのほとんどは戦わずして撤退や見て見ぬ振りを決め込んで、そのために四方八方から一方的に撃ちまくられて戦士たちが何人も犬死にの屍をさらしている。
トラだって、このままでは追加の「転がった死体おかわり」になりかねない。敵の魔族騎士がこちらに向かって来ているのに立ち上がることすらおぼつかない。しかも武器の大剣は滑り落ちすっぽ抜けて手元にない。幸い敵の魔族は「戦士寄り」のスタイルのようだが、はたして単純に正面から魔法の撃ち合いで勝てるだろうか?(トラは射出系のポピュラーなやり方の魔法攻撃などは月並みだ)
「思い上がるからだよ。ちゃんと協調性があって服従できることが大事なのに。自分だったらどうにかできるとか、どうにかしてやるとか。そんなアホなことするから「死ぬことになる」」
拍手する、子供たちの幻影。
でも、こういうふうになった原点は子供時代からの情熱だから、言われる義理はない。あるいは落胆を表明するのに、過去の自分が幽霊にでもなって現れたとでも言うのだろうか。
ずっと、魔術協会の魔術者たちを「傲慢で酷い奴ら」だと思っていたが、傲慢さというのは(方向性が違っても)自分自身もそうだろう。しかもあいつらは集団心理だけれど、自分は一人で余計な夢やロマンを持った。だったらなお悪いじゃないか。
だったら、なお「悪くて酷い」人間になってやればいい。どうせ相手は魔族で、魔族より「悪い」くらいでなかったら勝てるはずがない。どうせ世界の本質は悪意や暴力なんだから。魔族こそ人間の教師だし、見倣って殺すべき存在だろう。
「反省」の新しい次元が「鬼畜」の覚醒だった。
それまで、自分がどれほど愚かだったかを理解できた気がした。正々堂々とか騎士道精神みたいなものに、心のどこかでこだわり続けていた。でも「敵が死ねばなんでもいい」のだし、卑怯でも無慈悲でもいい。
「義手で良かったよ」
追撃で迫ってくる魔族の剣士。
銀の炎のように煌めく、ノコギリにような刃。
トラは避けずに、義手で受けた。
瞬間、火炎と爆発が発生。義手にブービートラップを仕掛けてあったのだ。
魔術トラップで、破壊の発生する彷徨や範囲はコントロールできるけれど、それでも義手はズタズタになってぶら下がる。火炎と爆発、そして砕け散った義手の破片の散弾。全身に傷を負って倒れたのは、勝利目前だった魔族の騎士とやら。
手放され、転がった敵の剣で、何度も何度も斬りつける。
「左手一本じゃ、力足りねえんだよ」
トラは切り刻みながら陰険な微笑。
もっと酷いことも考えついた。
(この魔族野郎を囮にすれば)
敵は魔族とその手下だから、人情も倫理観も劣っているだろう。普通の人質では見殺しされるだけかもしれない。しかしそれらの部下たちはこいつの恩顧と利権で生きているのだから、半殺しで吊しておけば救助しに来るかもしれない。
(ありったけのトラップを仕掛けて皆殺しにしてやるぜ!)
きっとトラは鬼畜や悪魔のような顔をしていた。奇計・策略で三十人をまとめて殺した日、魔族の騎士を殺して新しい剣を手にした日。
6
ジョナスの部下たちの横死させられた仇が取りざたされてから、三カ月ほどは何事もなかった。
少佐は参事会の選挙に出馬し、無事に当選。
祝賀会パーティーで「爆弾」が爆発して、集まっていた支持者たち数十名が死亡。それらは選挙のために妥協していた魔族ギャング。人間に紛れていた魔族二名は「特殊な剣」で切られて回復魔法による復活すら叶わず惨殺。
ジョナス大尉は清々しい顔で、さらに爆破トラップ魔法を起爆しようとするトラを制止した。これ以上の破壊は無駄で修理費用は経費や税金だから。「こいつもストレス溜まってそうだな」「はっちゃけたな」などと思いつつ、笑いをこらえた顔で首を左右し「そのあたりでやめとけ、もう十分だし建物の修理の手間がかかるから」と。
「囮役も、ご苦労。「反魔族の狂った過激派テロリストがいる(トラバサミの鉄仮面の、狂った魔法使いの好戦派が)。だが我々はそこまでの強硬策は望まない、現実的かつ賢明に君たち売国奴と妥協や取引しよう。その危険分子の情報を売ってやるから選挙協力しろ」って。
俺らのグループは「票で買収」されて護衛してやるって口実で騙して、こいつら逃がさないように周りを固めていた。アホだな、あとで全員皆殺しにするに決まってるだろ? フライングで殺してやろうか、何十回迷ったことか!」
「その剣、あんたが持っていたのか」
「これか? いつぞや「辻斬り」していた買収で成金貴族の武芸者を始末したときに手に入れたんだが。まさかお前の腕、これでやられたのか?」
ジョナスは「業物・魔術者殺し」を見せた。
装飾からして、たぶんあのときのものだ。
トラの切り落とされた右腕を接合できなかったのは、その魔剣の「回復魔法への阻害」という効能が原因。キチガイに刃物、バカとハサミ。
「そうだったのか。それにしたって、お前って魔術者では強い方なわけか?」
「戦いだけならそこそこやる方だろうが。戦術や肉弾戦の格闘も含めての総合力としては。
魔術者としての認定ランクは十二階級の上から六番目。ただ、広い意味での魔法能力がある人間の七八割くらいまでは八か七ランク止まりくらいだろうけど。半分は一生かかって九ランクにもなれるかどうかだろ、資質的に」
「だが? だったら魔術協会には、お前みたいなのが何千人も何万人もゴロゴロいるわけか。並以下の下っ端や弱い下手な奴らを入れたらもっと幾らでもいるのか。
戦闘の能力のこと言っているんだが。だったら、あいつらがどんだけサボって裏切りしてるのかってことになるが。お前と同レベルの奴が千人なり二千人なり積極的に軍やレジスタンスと一緒に魔族と戦っていたら、それだけでも悪くない戦力だし、戦局が変わるんじゃないのか?
能力のある奴が「いない・足りない」というよりも、魔術協会方針とか指導でわざと手を抜いたり協力拒否したり、戦わずに逃げまくってサボっているのか? それで魔族ギャングからご褒美の金や利益を得られるってことなのか?」
「その認識で、だいたい合っていると思う」
魔術協会のグループ・ネットワークは人間の魔法使い・魔術者の資質や能力がある人員や知識・ノウハウやデータ以外にも、魔術の資材や魔法効果のある武器や道具類なども大量に独占的に支配下に置いている。それが故意に戦わず、場合によっては政治的に駆け引きして、味方側の反魔族の政治家や警察・軍・レジスタンスに圧力や妨害すらしている。特殊なエリート党派意識はほとんど選民思想じみていて、自分たちを「第二の魔族」になぞらえたり憧れや共感するような風潮があって、そいつらが人間の魔法使い・魔術者たちを指揮・統制や指導して、人事権や地位ポストの推薦や指名権どころかランク付け・評価なども握っている。魔術者全般への影響は絶大で、裏を知っている者らの間では、それが人間陣営を対魔族戦争で劣勢にしている原因にも数えられている。
トラとジョナス大尉は苦い顔になる。
だがさっさと町を脱出して、山や森のレジスタンス拠点に行かなくては。もはや体裁上ではテロリストや犯罪者と大差がないからだ。
ほぼ同時に町中をゲリラ粛清で魔族ギャングに殺戮していた実行者は数十名くらいいるのだけれど、それらが全員逃げるわけではない。事後にも反魔族レジスタンスの戦力として防衛・威嚇・掃討する人員が町に残っている必要はある。あまりにもあからさまに殺しまくって(魔族やギャング側との)「裏協定」にも違反なやり方だから、誰かしら「こいつらがやりました、逃げました」という形式上の代表者が必要な次第である。
「ひとまず、最寄りのレジスタンス拠点に話は通してある。あっちの裏切り者どもの町のことは、いったんそっちに着いてからも改めて考えよう」
トラとジョナス大尉は森林地帯へと旅だった。
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