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1犬エルフな少年と義兄の罠師ハンター

※「のべま!」で掲載したコピペ
 
1
「ですが僕は、ついにこの決定的な弱点を克服することができなかったとです」
 水面にたゆたう黒いレトリバー面は、どう見ても温厚で恭順なフレンドリーなオーラであった。たとえ「狼男」であったとしても、この見た目だけで親しまれたり舐められたりすることだろう。
 グリーンのローブを着ているが、背丈と身体はまだあまり大きくなく、彼がまだ少年であるとうかがわせる。流れる水鏡にしゃがんだ背中には大型の剣を背負っているが、きっと今のように「狼男に変身」した状態ならば振り回すのに不都合ない。
 レト(レトリバリクス)は獣エルフと呼ばれる、エルフ・ドワーフの一種なのである。彼らの氏族グループと血統には「獣や獣人に変身する」特殊能力があるのだった。
「大人になって獣の力に覚醒すれば、このドロップイヤー(垂れ耳)も直るかもとか、はかない願いを抱いていたのです。超絶コンプレックスで、めっさ嫌でした。他の人たちや姉のような、かっこいい立ち耳の方が良かったです」
「そんなに嫌か? 特徴的で良いんじゃねえの?」
「この耳、「可愛い」とか「お洒落」とかだけでなく、「耳たぶがあって密かに卑猥な形」だとか、さんざんに姉やその友達からオモチャにされました。それが仲間内で隠れた定評みたいになってからかわれるし。
しかも、獣に変身してもなおこの面構えと見た目でしょう? なんか狼男らしい威圧感とか強そうとかじゃなくって、「あんまり恐そうじゃない」とか「可愛い」とまで言われて、みんなして舐め腐りやがるとです。
おまけに、固定オプションの使える魔法も回復魔法系とか、「神様、いったいなんのつもりなんですか?」って。みんなして「やっぱりお前はそういう奴だよな」って笑われました」
「別に良いんじゃね? お前、姉ちゃんみたいなのが良かったわけか?」
「はい。姉のような「麗しの美獣」とか「誇り高き牝狼」とまでいかなくても、普通に大型狼タイプとかで良かったです。二足歩行のレトリバーとか、冗談きついっす」
 レトは後方で焚き火を起こしている義兄のトラに愚痴り続けた。
 トラという名前は通称で、その由来は「トラッパー(罠師)」と猛獣の「虎」。人間の冒険者で、少しは名がある魔族ハンターである。その顔と頭は、罠のトラバサミを流用した鉄仮面ヘルメット。得意技は設置系の攻撃魔法トラップ。
 そして姉の恋人で、レトには義兄である。
 かつて村が襲撃されて姉が魔族に捕まっていたときに救出してくれたのがきっかけで知り合ったのだそうだ。魔族(と手下の匪賊・盗賊)の遠征キャンプで「獣」の姿で檻に入れられていて(性暴行されるのが嫌でストライキで抵抗していたらしい)、棒で叩いたり蹴り飛ばされぶちのめされてもなお変身解除を拒否して「だったら食事も水も与えない」拷問にあって、餓死覚悟でハンストしていたところを、たまたまトラが襲撃してきた。解放されて「復讐タイム」となり、トラ一緒に暴れてその場の魔族・盗賊どもを殺戮し追い散らしたそうな。
(姉さん、自分だってすっかり「犬」になっているくせに。犬になって腹見せて甘え倒してた現場も見てるけど、「あの人は別腹だから」とか)
 それから「麗しの美獣」とか「誇り高き牝狼」とかを自他共に認めていた姉は、すっかりこの義兄のトラには「懐いた犬」のようになっている。変身して甘え倒す「愛情プレイ」が常習的。
 いつぞや、姉が机上に出しっぱなし・開きっぱなしにした日記。どうやらわざとノロケ目的で、弟のレトに見せるのに放置したらしい。観察していたらしく頃合いを見て現れ、非常にわざとらしく怒ったような困ったような顔をつくって、幸せそうに照れまくっていた。
 救出後に(狼に変身した状態のままで)「前脚と後脚の指の間まで手と指で洗われた」だの「耳にチューされた、キャー!」「撫でて抱き寄せられて脳みそ蕩けた」だの。翌朝、野宿したシェラフの隣で裸の美女が寝ていて、義兄のトラは(狼や犬と思っていたため)パニックに陥っていたそうだが。
「良いじゃないか。その剣もちゃんと扱えるみたいだし、そんなに不都合ないだろ?」
「ええ、おかげさまで」
 この両手持ちをメインにした大剣は、元々は義兄が決め手として所持・訓練していたものだ。ただし彼は対魔族の戦闘で使用するする前に片腕を失い、以後は「若枝の義手」で補って得意の魔術トラップを駆使した戦術で名を挙げた。義手は便利だけれども、両手剣を扱うにはパワーや保持力が不足しているそうで、泣く泣くお蔵入り。
 レトは接近戦・剣術の訓練に付き合ってもらって、その面では上達した。トラは案外に物事をよく知っており、知識や学習面でも世話になり。
「お前は回復もできるし、攻防の両方とも一人でできるんだし、気にするな」
「良いような、でも器用貧乏っぽいっす」
 水面に写る鏡は、獣エルフの少年の顔を映していた。血筋や家系のおかげでまあまあの美少年なのだが、姉のような凛々しさより温和でお人好しそうなのも、レト本人は密かにコンプレックス。
 
 
2
 この世界は「魔族帝国統治エリア」と「人間やエルフの自治独立エリア」に分かれて、長い抗争が続いているのだった。
 魔族帝国といっても、住民の全部が魔族ばかりというのではなく、魔族が政治的な支配権を握っている領域ということ。当然ながら人間は下層民の奴隷階級や家畜として扱われる。
 この「家畜」というのは、魔族たちは人間の血肉から特殊な酵素や栄養分をとらなければ、健康的に生きられず最悪は生命維持すら困難になる。人間と魔族の亜種であるエルフやドワーフも捕食されることはあるのだけれど、絶対数や捕獲と飼育の容易さや、含まれる酵素成分の含有量からすれば「人間こそ魔族のための先天家畜」とされている。
 上古の伝説や歴史書によれば、魔族やエルフ・ドワーフは同根であるとされており、人間(サピエンス)と分化した亜種の「人」とされる。価値観や解釈として、魔族側は「自分たち(魔族)こそ上級支配種族であって、人間は家畜や奴隷だ」という主張と「魔族は異常な呪われた種族である」という二つの正反対の見方が真っ向から対立していることになる。
 エルフやドワーフの各氏族グループでは、人間陣営側につく者や氏族集団が多いわけだが(それでもしばしば敵対・迫害や確執もあるけれども)、一部に「魔族寄り」のグループがおり、「深淵(アビス)エルフ」だの「暗黒(ダークネス)エルフ」だのと呼ばれる。魔族支配下では同じ下層民・被支配階級でも人間より上位の存在とされることが多く、魔族に恭順な者やグループは交際や混血で人間捕食や魔族原理主義の思想と文化に染まる。
 そして何よりも、魔族が「帝国」を維持出来ている理由の一つは、実は敵対しているはずの人間側にも原因がある。人間相互での争いに魔族勢力が利用価値があったり、魔族支配下での奴隷労働による利益が直接・間接の両面で人間側の諸国・地域エリアに還流されているからだ。そのために人間側の腐敗を中心として、わざと魔族帝国・支配エリア(さらには傘下のギャングなど)を野放しや手加減して危機を招いている一面がある。
 矛盾と歪みが招いた最悪の悲劇は僅か数年前の話で、人間側の反魔族レジスタンスと一部の正規軍が魔族支配エリアの解放作戦を実行したが、裏切り行為によって頓挫した。戦意の高い部隊やグループをわざと突撃させてそのまま最前線に置き去りにしたり、切り札を保管する者たちが背後から味方の人間側に魔術砲撃・一斉射撃したこともあって、指導者への暗殺や各種のスパイ行為や買収・脅迫が横行した。参加していた人間側の諸国グループは指揮統制や相互の信頼が保てなくなってしまい、正常に一致して戦えば解放・奪還できた地域(数カ国に相当する規模や人口)を諦めて放棄するしかなくなってしまい、多数の有望有能な将兵や人材を失って劣勢にすらなってしまった。
 
 
3
「クリュエルさん、お元気でしょうか?」
「地味な作業仕事ばかりだと手紙でぼやいていたな。特技が役に立ちつつ、災いしてるらしい」
 エルフ村を訪れたレトとトラ。
 ここはエルフや人間の焼け出された避難民が集まって開拓・要塞化した村落地域で、人間陣営のレジスタンス拠点でもある。軍や政治関係の協力者・同調者も出入りしているために、武器や医薬品などの物資の取引市場や店舗があったり、フリー対象の冒険者ギルドもある。
 頭目リーダーの一人であるクリュエルはトラの友人でもある人間の勇士で「聖剣を折った男」や「原人騎士」として知られる。
「どうもです」
「おお、あんたらか。うちの人も喜ぶわ。ちょうどイノシシ捕れたし食ってくとええ」
 出迎えたマタギ(狩人風の伝統衣装)姿の森林エルフの若奥様に、レトがご挨拶。森林エルフはよくあるエルフの代表的なイメージだが、氏族によっては東洋系の顔立ち。
 やや筋肉質でスポーティに精悍な彼女はクリュエル・サトーの正妻でもある。素朴だが優しげで少し気の強そうな逞しい田舎娘の雰囲気。姉とも狩猟やパトロールなどで友人・仲間らしいと知ったは最近のことだ。
「晩御飯の味つけどうする?」
 やや遅れて、ひょっこりと顔を出す若い女。エプロンの裾とスカートをたなびかせて、つややかな栗色の髪にくりっと悪戯っぽい眼差しに、看護兵の腕章を付けていた。
 トラはやや警戒している様子でもある。トラバサミの鉄仮面ヘルメットをしていても、普段から一緒にいるレトには気配でわかる。曰く、必ずしも全く信用していないわけではないらしいが、本能の警戒と猜疑心らしい。
「うみゅ? どっかで見たお客さんだね! やっほ、わんちゃん元気してた?」
 出合い頭から「犬」呼ばわり。
 いつぞやは耳を執拗にいじくられ、途中で姉に制止・救出されていなかったらきっと頭がどうにかなっていた。あんないやらしい触り方をされたのは人生で初めてでした。
「ども」
 それでも半ば反射的に会釈のお辞儀するレト。恭順は本能です。
 このサキという美女は魔族ハーフ混血で「サキュバス姫騎士」。父親は魔族の伯爵(中堅の魔王)らしかったが母親が人間であるため、さほどの人間捕食を必要としない。「肉を食べるかミルクを飲むだけか」という違いは大きかったそうだ。友好的な吸血やサキュバス行為しているうちに人間と仲良くなり、とうとう魔族の残虐暴虐に耐えかねて被支配層の人間の支持者と一緒に脱走してきた。「人間だって、ペットの犬や猫を毎日イジメ殺して喜んでるアホと日々一緒にいられる?」との言い分。
 そのため、この村の住民の三分の一は彼女が引き連れてきた庇護民で「男爵」「領主様」などと敬われている。こんなふうでも幹部やリーダー格の一人であるらしいが、普段は野戦病院で看護婦したり炊飯の手伝いしたりで割と普通らしい。性格は人間の基準からしても良い部類なのだろうが、無自覚の絶対数な優越感・卓越感も(余裕のある態度や優しさの)理由のようだ。
 こんな無邪気で清楚にすら見える彼女が豹変するのは、夜。たまに(しばしば?)昼間でも盛っているらしい。人気の隠れた裏事情でもあるそうだが、最初のうちはかえって魔族側のスパイ疑惑を招いていたようだ。その後にただの本性・天然だと理解されて、他の態度や振る舞いから信頼されるようになってはいるものの、いまだ賛否両論や呆れられている節もあるのだとか。
 レトの姉曰く「あんたも臭いでわかるでしょ? あの人はあり得ないくらい淫乱なド変態女だって」。ええ、(獣エルフは嗅覚が鋭いので)臭いだけで気が狂いそうになってきます。女の強烈な発情と複数の男たちの劣情の臭いで、鼻が焦げたようになって頭が恍惚とぼおっとしてきます。
 
 
4
 村の洞窟工房では、文字通りに「原始人のような男」が、黒曜石を打ち欠いて「打製石器」を作っていた。無精ひげを生やしていたが髪の毛はちゃんと切られていた。それなりに清潔にしている違い(妻の世話による功績らしいが)はあれど、知らない人が見たら「原始人の生き残りが隠れ潜んでいる」と思うだろう。
 棚や机があって、魔法陣の描かれた鉄板の上で、作りたてのキラキラ輝く打製石器が、下から青白い魔術の火でチロチロと炙られている。
「手紙どおりだな」
「お久しぶりです、クリュエルさん」
 来客に顔を上げるクリュエル。ちょうど加工済みの魔術加工の粉に手を伸ばしたところだった。
 なんだか、無人島に置き去りにされた人か、牢獄の囚人みたいだった。
 彼はエルフの「毛皮鎧」を愛用していることもあって「原人騎士」と呼ばれている。その凶悪な戦い振りもあいまって、だ。だがこんな風であってもトラと魔法学校で同窓生だったりして、そこいらのバカな学者や下手な政治家よりはよほど学もあるのだという。
「やあ、元気そうだな。こっちゃ、ずっと穴熊で内職してるよ」
 この手の洞窟は防音や安全に加えて、地脈で魔術兵器を作るにはもってこいらしい。
 クリュエルの「石器」は魔術効果のある特製品であるために価値が高く、直接の味方のための需要に加えて、味方陣営に売って資金源にもなっている。そのために、リーダー格でありながら、穴蔵でこんな作業仕事する時間比率が長い。
 彼は「付呪」の魔術の名手だった。
 通常は「エンチャント」などとも言われる魔法技術で、剣や槍などに魔法効果を付与する。そうすると魔術的な才能がない者であっても魔法攻撃を物理攻撃に付加できるし、事前に仕込んでおけば魔法力も消費せずに済むからだ(魔法力は時間経過で回復するから、先に準備しておいた分だけ戦闘時に余裕が出来て有利になる)。
 クリュエルの「魔法石器」はその魔法技術の応用で使い捨ての武器に仕立てたもの。一度または数回だけの使用であれば、必ずしも剣や槍でなくても構わないし、特に投擲して使うならば回収の余計な手間がなくてすむ。威力はそれなりであるために管理は厳重で、限られた相手にしか売らない・渡さないわけだが、無力な者たちに一時限りの使い捨てとはいえ自衛力のある武器を持たせられる利点がある。
「頼まれていた分は出来ている。管理倉庫の受け取り窓口に行って受けとってくれ」
 クリュエルは焼き印とインクの書き込みのある木の札を二枚差し出す。一枚はレトの獣エルフ村のための輸送分で、もう一枚はトラとレトが冒険で使うためのものだった。
 トラは受けとって頷く。書類を手渡す。
「トラップ五十枚は、先にそっちの倉庫に渡しておいた」
「ああ、サンキュー。前に魔族が攻めてきたときの防衛戦で、半分以上も仕掛けといたのが吹っ飛んで、予備の追加トラップが欲しかったんだ」
 同じようなやり方だが、トラは魔術トラップを羊皮紙に仕込むことも出来る(威力範囲が広かったり敵の接近で自動発動するなどの利点はあるものの、ただしかさばるためにメリット・デメリットがある)。効果・属性に微妙に違いがあることもあって、こうしてしばしばお互いの製造物を「交換して交易」している。
 まだ、都市部の防衛ならば軍や警察の精鋭部隊もいる。しかしそれにもおのずから限界がある上に、先述の「政治的事情」で行動が制限されがちなのである。結果として村々や地方のレジスタンスでは戦力の人数的にも劣勢や不利になりがちであるため、単に「強い戦士」というだけでなく「数の差を埋め合わせする工夫」がなければやっていられない。いくら個々の勇士が強かろうが、敵方の魔族は匪賊の手下や「奴隷兵士」で物量でゴリ押ししてくる場合が少なくないため、バカ正直に正面から正攻法・決闘のように戦うだけでは敗北したり詰んでしまうからだ。
 
 
5
 晩餐は丸木小屋の会堂で、イノシシ肉のシチューだった。パンやお粥も。
 当然ながらこの場所では十分な穀物が得られるわけではないし、布の衣類などの日用品だって全部が自給生産できるわけがない。それでも生存できているのは近隣の炭鉱や鉱山を防衛やパトロールすることで村のギルドが報酬を得ていることや、貴重な薬草の採取・栽培による医薬品の精製販売(エルフたちとサキのノウハウがあって初めてできることである)で外部から資金や資材・物資を獲得しているからだ。クリュエルの魔法石器もそうだが、鉱山から買い入れや譲渡された金属で刀鍛冶もやっているし、エルフ・ドワーフの得意な弓矢・木工品や陶芸品も作っている(地脈エネルギーや火山の熱も利用している)。
 一般に「山村は全く孤立している」「自給自足して自己完結している」と思われがちだが、実はそれこそ上辺だけを見た先入観や固定観念でしかない。むしろ交易や付き合いがなかったら、地理的に離れた山村での生活や山仕事は成り立たない。
 ここは開拓村であり、魔族帝国の支配領域拡大を食い止める屯田兵村なのだ。レトの獣エルフ村などとつながって、暗黙の防衛戦を作り上げているフロンティアなのだ。
「本日は、獣エルフ村からレト君と私の友人が遊びに来てくれました。お互いの無事を祝い、祈って乾杯!」
 拍手。共同戦線している結束や絆。
 レトとトラは、クリュエルの近くの同じテーブルに席を与えられている。
 サキのテーブル周りには「義兄弟」の古参の側近グループがおり、鍛冶屋のブラックスミスと槍術戦士に、兄を亡くした義妹。サキはレトと目が合うとヒラヒラ手を振った。
「あいつ、レト君も狙ってるっぽい」
 友人のマタギ娘がヒソッと囁く。前に聞いた話では、遠慮しつつもクリュエルも「将来的には視野」らしい。普通なら争いの原因になりそうなものだが、サキの性格(と実績人数)からして、もはや古参の義兄弟たちも他の女たちも「今さらだし」ということになっている。一説では、この村の過半の男と関係があり、女性でも「食われた」人が少なくないのだとも。
「そうだ。ここにいる間に、お前の剣も手入れして貰ったらどうだ? 明日の朝にドワーフの研ぎ師が来るから、金属疲労の修復も」
「そいつはラッキーだ。記念品だし」
 トラバサミの兜の下(口や顎のガード)を下げて食事しながら、トラは友人の勧めに頷く。彼らの剣には独特の経緯があるらしい。
 トラのフランベルジュ剣は魔族の貴族を殺して奪ってきた特別な鹵獲品で、魔族の技術で作られた大業物。その刃は銀色の炎が揺らめいているようなギザギザで、ノコギリのようになっている「苦痛を与える剣」。そんなもので斬りつけられたらどんな悲惨なことになるかはお察しで、肉を引き裂いてズタズタにして、付与されている魔法効果(魔法回復妨害)も相まって回復困難。
 その強奪したフランベルジュ剣で、元の所有者の魔族の貴族(小魔王・男爵だったそうだが)とやらがどんなふうに殺されたか、レトは考えたり想像すらしたくありません!
 当のトラは「純粋な悪意は案外に美しいのかもな? 鬼畜の精神の模範とすべき記念品だ」などと、いつぞやレトに訊ねられて目を血走らせて語っていた覚えがある。トラはたまに(主に敵に対して)狂った鬼畜のようになります。何か歪んだものや絶望や心の暗黒を抱えているのでしょう。
 クリュエルの傍らに立てかけられている「かつて聖剣と呼ばれた剣」は、切っ先が折れてなくなっている。理由はかつて「聖剣詐欺村」で、抜けないようにボルト止めされた「偽の聖剣」をへし折って強奪し、反魔王の候補者を騙したり謀殺していた卑劣詐欺の村人たちを皆殺しにしてきたから。
 その先端の欠けた独特の形状から「クリュエルの処刑刀」と呼ばれている。それもまた、聖剣ではないものの、大昔の魔族の名工が作った代物なのだ。「この剣を抜く者によって多くの魔族が殺されるだろう」と予言された曰く付きで、間違っても抜けないようにボルト止めしてあったのに、それで(抱き込んだ卑劣な村人たちに命じて)聖剣詐欺していたらクリュエルが(先端をへし折って)強奪してしまい、以来に(魔族たちにとって)恐るべき予言が的中・実現しまくっている。
 
 
6
 翌日の昼下がりに二人が村から出発するときに、サキが駆け足で精製した薬品を詰めた袋を持ってきてくれた。
「レト君、これも! あっちの村の抗生物質。それとこっちが途中の見張り所の補給分」
 だがサキが話しかけたのはレトだけで、トラとは一瞬だけ目を合わせたが無視。冷淡で険のある眼差しだったように思う。
 どうやら二人はあまり仲が良くないらしい。
 原因はトラ自身の態度や見方であるらしいが、サキには珍しいほどの愛想なさだった。伝聞したところでは、いつぞやこんな会話があったとか。
「人間のくせに、人間を裏切って魔族から金貰って裏切ったバカが後を絶たない」
 トラは数年前の致命的な戦場で、味方陣営のはずの人間の裏切りと戦線崩壊で、破滅を目の当たりにして本人も死にかけたらしい。
 たまたま酔っ払って、機嫌が悪くメランコリックになったサキが過剰反応したようだ。
「それって、私のことの当てこすり? 私の母さんのこと? 私は魔族と人間のハーフ混血だし、母さんだって人間に苛められたからあんなになっただけで、可哀想な人だった。
私に「栄養不足にならないように」って、胸を針で刺して自分の血を飲ませてくれたし、「あなたのお兄ちゃんがいる」って幽霊に怯えていたわ。たまにヒステリー起こして下僕の人間を鞭打っていたけど、でもけっこう気遣ってた。わかってる人たちは「あの人はいい人だけど心を病んでいるだけだ」ってわかってくれたし、人間を面白半分で殺して食べてたなんてのも、嘘の噂よ」
 サキの人間の母親は、人間の盗賊(元は滅んだ国の不良になった軍隊)に捕獲されて監禁・虐待され、魔族側に走った女だったらしい。望まず妊娠していた誰のものかもわからない子供を臨月間近で堕胎して、魔族の有力者に手ずから調理して食膳と酒肴に捧げた。それから気が狂ったようになっていたらしい。
「あなたって魔族嫌いなだけじゃなくって、人間のことも嫌いでしょ?」
「ああ、そうかもな」
「私、あなたとだけは寝たくない。生理的に無理。だって「愛」してくれない人なんて」
「ふうん、媚びへつらって機嫌とってでも他人から愛されたい人ってわけか? 愛情乞食? 本質ではお前の母親と変わらないよな?」
 直後にサキはトラバサミの仮面に、拳固で思いっきりに殴りつけたという(殴ったサキの手があとで腫れ上がったとか)。泣き出してヒステリーを起こして、いつもならまずないような不機嫌さと癇癪ぶりだったと聞く。
 個々の経緯や性格の合わなさだとか。
 偶然のタイミングや巡り合わせもあるだろう。
 要するに、トラはサキを信用しておらず、将来的な狩猟対象の敵のように考えており、サキからすればそれを敏感に感じとったのだろうか。そんな下地や前条件がたまたまのきっかけで、相互嫌悪に発展したようだった。
 
 
7
 このときの朝食の前にサキがレトに話しかけて、トラのことを聞いてきた。
「あいつ、あの鉄仮面があなたのお姉さんと仲良くなったって、あれ本当?」
「はい? ええ、そうですけど。僕もお世話になってますし」
「どんな感じ? あいつ、愛とかあるわけ。近ごろ急に、殺気みたいなプレッシャーが減った感じで変っていうか、丸くなったっていうか」
「え? あ、たぶん。姉がノロケてきます」
 すると、サキは少し驚いたような感動したようなふくれて拗ねたような顔になった。
「あいつ、会ったときとかその後もすごい殺気みたいな。あれって私にだけってことかな? 「人間のくせに魔族みたいな奴だな」って、めっちゃ気持ち悪かったけど。あれ、やっぱり私にだけかあ」
 サキは考え込むような口惜しそうな表情で「私が気にしたのは黙っといてね」と言っていた。感覚が鋭く、内面の葛藤やデリケートさがあるサキにとっては、トラの態度や本質的な一部分がどうしても耐えがたかったのか。
 
 
8
 村を離れてから、レトはトラに言った。
「サキさんって、そんな悪い人じゃないですよ」
「だとしても、いずれ必要なら殺すしかない。周りにいる取り巻き連中の人間も。感傷とか無駄な感情は他のお人好しに任せておけばいい」
「トラは、サキさんを疑ってるんですか? それとも魔族が嫌いだからとか」
 するとトラは、トラバサミの鉄仮面の奥で小さく笑った様子がした。
「そう! その両方だが、前のときの調子からしたら当面は殺す必要はない。「愛情乞食」と言ってやったら怒っていたが、たぶん当たらずしも遠からずで図星なんじゃないかな?
もしこっちや人間を無難に偽って騙すつもりだったら、こっちが都合の良い勘違いしていたら、もっともらしく装ったりしそうなものだが。態度や反応からして違うと感じたし、あれが全部騙すための演技だったら逆にたいしたものだ」
「確かめるために、わざと勘に触るようなことを言ったんですか? トラはしょっちゅうやり方が酷いときあります」
 また、トラは鉄仮面の奥で笑ったようだった。
「それが持ち前だからな。
あいつ、頭のゆるいお人好しの軽尻に見えて、けっこうプライド高くて性格複雑そうだなーとか。単にバカ女とかゆるいっていうだけより、歪んでこじれたような。
それに、俺に「魔族みたいだ」なんて言った意味を考えてみたが、あいつ自身や人間の母親が周りの魔族から捕食対象の餌や獲物みたいに見られてたのかもしれないな。だったら、ハンター(狩人)の俺に「魔族みたいだ」って言うのもわかるし、あいつが人間と親しくなったのも。
置かれた立場のストレスで性癖が歪んだり暴走して、そういう習性や性格になったのか。ここで見かける機会ある度に様子見して観察もしていたんだが、一人でいるときに警戒や不安や恐怖や気持ちが沈んでるような顔のときがけっこうあって、反対に取り巻きの人間と一緒にいるときに安心してくつろいでる感じなのな。
まだ、魔族からなぶり殺しして食われたりするくらいだったら、慕ってくる人間と付き合ったり寝た方がはるかにマシで安心できるだろうし」
 レトは黙り込んで、二人で帰路を急いだ。

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