5
ゲーム開始から三十分くらいたっただろうか。
校庭で数年ぶりのピクニックをしながら腹ごしらえしたマナミに、サーシャは控えめな態度でおずおずと訊ねた。
「それでいつ学校に突入するつもりなの? 怖い?」
「まさか。怖いって言えば怖いけど、作戦よ、作戦」
図星ではあったけれども、あえて気丈を装って答えるマナミ。彼女にだってあながち考えがないわけでもないのだし。
「そうなの? それでいつまで待つつもりなの?」
「その、夕方くらいか夜になって暗くなるまで待とうかなって。こっちはスイッチの場所や校舎の見取り図もわかってるんだし、暗い方がこっちが逃げ隠れするにも有利かなーって」
するとサーシャは冷静な調子でマナミの盲点を指摘する。
「それはあんまりお勧めしないよ。あんまり時間を与えすぎてしまう。こっちがその気だって察知すれば、敵の鬼だってずっと様子見して待ち構えているとは限らないもの」
「そうなの?」
「たとえば、さ」
サーシャは運転手の方をチラリと一瞥して、懸念を述べた。
「罠を張られたら? 暗くて見えづらい足下に何か置かれてごらん。慌てた拍子にひっくり返ったり、何か音を立ててばれるようなものとか」
「うーん、たしかに」
「それにスイッチのある部屋は最初の時点では鬼は知らないけど、ゲーム開始後に自分で探す分にはOKなんだから」
そんなことを言われると、マナミは胸騒ぎや不安が募ってきて、つい反論したくもなる。
「だけどさ、スイッチを壊したり移動するのは反則なんでしょ?」
サーシャは浅慮に首を振った。
「スイッチ自体には何も出来なくたって、廻りに罠を張るくらいはできるよ。こうしゃのなかのものは何でも使って良いんだから、机や椅子で階段を塞いで通りにくくすることだって」
「あちゃー」
マナミは自分の盲点の大きさについ悲鳴を上げてしまう。彼女としては「敵の鬼畜変態男がそこまで賢いわけがない、馬鹿に決まっている」と頭から思い込んでいたところがあった。
「家庭科室や理科室だったら、武器になるようなものだってあるだろうし」
「こ、怖いこと言わないでよ!」
マナミは話を聞いていて、膝がすくむ思いだった。今回のゲームでは適宜決定のルールでズボンでなくミニスカートの着用を求められていた。細かい部分のルールは双方の希望で調整するらしい。
いつの間にかあの運転手の男が二人のピクニックシートの傍に来ていて、コホンと咳払いをして黙って視線をサーシャに注いでいる。「あまりにも教えすぎだ」と暗に言いたいのだろう。基本的にサーシャや運転手は手助けは禁止なのであった。
だがマナミはそれどころではなかった。深い穴に落ち込むような心許なさで肩が震えた。
「どうしよう?」
そんなとき、運転手が歩いた拍子に手に持っていたコーヒーカップを取り落とし、マナミが脱いだ靴の上にコーヒーをぶちまけてしまうしかし彼は平然として「失礼」と小さく笑って、サーシャに目配せする。
サーシャは思いついたように自分のブーツを差し出した。
「ほら、これをかしてあげる。汚れたスニーカーより、こっちの方がいいでしょ?」
それは足首まで固定できて転んでも捻挫しにくそうだった。しかも先っぽに鉛が入っていて、靴底も分厚くて滑りにくそうだった。
礼を言ってどうにか受け取り、それでマナミはようやくにして落ち着きや勇気を少しは取り戻すことができた。
6
まずはどこから校舎に侵入するかを決めなくてはいけない。
中に入るまでは、たとえ「鬼」はこちらの姿を見つけても、追いかけたり捕まえたりは出来ない。だからまずは外から周囲をぐるりと回って、窓からでも中の様子を窺うことにする。うまくいけば敵がどんな奴であるかを見るチャンスがあるかも知れない。
(うわ、やられた)
いやな予想は的中してしまったようで、廊下の一部にはガラスのかけらが散らばっているようだった。たぶん理科室のビーカーや何やかやをばらまいて砕いたのだろう。
ここはサーシャに感謝するしかない。もしも自分がはいてきた柔なスニーカーのままだったら、下手に踏んだら足をケガしてもおかしくなかったかも知れない。
そして一番に恐ろしかったのは、敵の男の「ケガをさせようが傷つけようが構わない」という発想だった。少なくとも「女の子相手だから手加減して優しくするべき」などと生ぬるいことを考えているとは思えない。
しかも窓の鍵があらかた全部閉められている上、多くが何か接着剤めいた黄色い液体でドロドロに塗りたくられているようだった。今でもちゃんと開けられるかは怪しいものだが、きっとゲームでスイッチを全部押した後に逃げようとする頃には、きっと固まってしまって開かなくなっているに違いない。まさに鬼だった。どうあっても無事に逃がすつもりのない鬼畜が、この校舎の中で自分を待ち受けているのだろう。
そんなことを推察しただけでも急に胃袋が痙攣したみたいになってきて、マナミはさっき食べたサンドイッチをその場でほぼ全部吐き戻してしまった。目の前が暗くなりそうで、これまでの人生で最も呪わしい気分だった
そのときに頭の上から黒板消しが落ちてきて、うずくまるようにした背中を直撃する。見上げれば開いた窓から、変色したカーテンがはためいている。気がつかないうちに見られていたことにぞっとしてしまって、顔から血の気がひいていくのが自分でもわかった。
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